【映画】ばしゃ馬さんとビックマウス 夢とかやりたいことって何だ?

昨日、「ばしゃ馬さんとビックマウス」という映画を観ました。夢について考えさせられたので、昔の話を思い出しました。

小学生の頃、習字で将来の夢を書く機会があった。その時に夢?なにそれ?と思った記憶がある。

逆になんでそんな遠いことを想い描けるのか分からなかった。あの時は日々毎日が楽しかったから満足してたのかもしれないし、ただ、適当に書くということができない頑固者だったのか。

夢は今までしっかりともったことはないのですが、少しくらいあってもいいものかもしれない。と思いました。

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夢を追いかけるということ

フリーターをやりつつ、頑固に脚本家という夢を追い続け、10年以上認められることなく、34歳という年齢になってしまい、夢を諦める勇気が出ない、麻生久美子演じる、馬渕みち代。

脚本家という夢を抱きながらも、自分の理想だけが膨らみ、ビックマウスなだけで、現実には脚本も全く書かず、夢に向き合い、1歩を踏み出す勇気が出ない20歳そこそこの、安田章大演じる、天童義美。

この2人がシナリオスクールで出会ったところから物語が始まる。

夢を追いかけた当初は大きな期待が自分のなかにあるのだと思う。

しかし、がむしゃらに追いかけても、他人に認められるとは限らないし、その結果を求めすぎると、そこまで時間をかけても認められない自分が価値のないように感じてしまう。

だから諦められない。

また、挑戦する前に自分に期待をかけすぎても、そのプレッシャーによって、最初の1歩のハードルが高くなる。そのまま時間だけが経つと、理想と現実のギャップが自分のなかで開きつづけて、更にハードルが高くなる。

そして、何もできなくなる。

自分に対する自信と挑戦する、諦める勇気が無くなってしまっている。もし、他人に認められなくても、出来る限りの努力をして、挑戦していたら、その行動は自分の意志でしたものだから、確実な自信になる。

挑戦して、努力して、チャンス掴んで、努力して、他人に認められて、それでお金を稼げたら、それは嬉しいに違いない。

しかし、認められなくても、自分に積み重ねたものは必ず存在するし、他人に認められなくてもその過程を楽しむことができれば、幸せなんじゃないだろうか。

そのサイクルを楽しんで、人とその喜びを分かち合えることが幸せなんじゃないだろうか。

この2人は夢はあるけれど、楽しそうには見えないし、幸せそうにも見えない。夢にしがみつきすぎて、自分の幸せを感じられなかったら本末転倒だと思う。

みち代は自分に厳しかったり、夢しか目にはいってなくて、余裕がない。焦り過ぎて、監督にとにかく取り入ろうとするところが痛々しくてならなかった。

天童は自分と向き合うことから逃げ続けて、頭の中の妄想だけが膨らみ続けて痛々しい。

ふたりとも自分自身のことが好きではないのだが、他人に認められて自分を好きになろうとしているところが痛々しい。

そこから現実の自分と向き合い、自分の嫌なところを乗り越えようと勇気を出して立ち向かって行く過程に勇気を貰える。

やらなかったら、何も始まらない

人に認められなくてどうしようもない怒りがたまったみち代が、口だけで何もかもしないくせに、他人の批評だけは一人前の天童にキレて、

「うるせえ!書け!書いてから言え!」

というセリフがあるが、挑戦し続けて来た人の言葉は重い。

しかし、その言葉によって天童は脚本を書く。1歩を踏み出す。

やってみないと、才能があるかないか分からないし、もし、何もしなくて、俺は才能がある!って死ぬまで言い続けていたら、それこそ、辛いだろう。

挑戦と諦め

挑戦はハードルを下げて、気軽にいいなと思ったことに挑戦して、努力してみたらいい。

諦めたくなったときは、期限を決めて、それまで全力でやってみて、その期限が来たら決めたらいい。それが楽しいならやればいいし。

そうでないなら、他のいいなと思うことに挑戦してみる。

本気で夢を追いかけたことがないから、分からないけれど、その思いとかけた時間が大きければ、諦めるのは辛いんだろうなあ。

もし、これからそういうことがあったら、この映画から諦める勇気を貰おう。

ありがとうございました。

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